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極端な“寒の戻り”に翻弄されつつも、この春はなかなかに駆け足で。
例年よりもずんと早くに桜も咲いての、街は萌え初めの柔らかな緑が顔を出しつつある頃合い。
幹線道路に沿うたもの、街灯のように背が高い樹には落葉樹も多くて、
それらが気が付けば梢に新芽をくっつけているし、
腰丈の茂みにも柔らかそうな葉が覗き始めているものの、
春といえば様々な花々が競うように咲き始める時期のはずだが、
桜の出足が早すぎたか、ツツジの茂みも卯の花もまだまだ蕾ばかりだと、
“去年だったら そこまでは気が付かなかったかもしれないなぁ…。”
ほのかに菫色を染ませた空を見上げつつ、
そんなところへ感慨深くなっている敦くんだったりし。
花の名前や陽の高さ、風の匂いに関心が向くようになったのは、
そういった抒情的なことへの造詣が深い人と知り合いになったから。
世間知らずでは収まらないほどに限られた世界しか知らないまま、
頼るあてなぞない世間へいきなり放り出された子虎くんだったが、
何につけ及び腰だった気弱な彼が、
それでは突き放されてしまう、さよならされてしまうというのを恐れ。
厄介ごとに巻き込まれるだけだからと離れてこうとする人へ初めてしがみついたのが、
ポートマフィア幹部だというから、
『キミの危機管理能力が私にはよく判らないよ。』
先程、ついふらふらと川に誘われて入水しようとした上司様、
かっこ 元ポートマフィアのやはり幹部 かっこ閉じるに、
ほとほと困ったと それは様になるポージングで肩をすくめまでして言われたのは
ちょっと微妙な気もしたが。(う〜ん)
「それにしたっても…。」
気が早い薄着でいてちょうどよく、
ついつい羽織って来た上着がお荷物になるほどに、今日は気温も高いめで。
とはいえ、水を浴びるにはいくらなんでも早すぎる。
丁度 探偵社と社の寮との中間あたりでの太宰救出だったので、
敦はそのまま直帰の届を国木田へ電信書簡で送り、
とりあえずは着替えをせねばと自分の部屋へ急ぐことにする。
同居人の鏡花はまだ仕事中で、
確か自分が太宰の捜索を命じられて社から出るより前に
ナオミと連れ立って 給湯室に置いている消耗品の買い出しに向かったはずだ。
古びたアパートの古びた扉の、錠を解きつつ 開けたのに、
それでも一応、“ただいま”という声を掛ける習慣がついており。
返事がないことへ “あ・そうか”なんて状況へ気が付いて、
無為なことをしたと 一人照れることもない辺り、
なかなかに順応力はあるほうかと。
歩いている間にも髪やシャツは結構乾いたようだったが、
それでも靴下は上り口の土間で脱ぐのを余儀なくさせられて。
“着替えるだけじゃダメかな。”
川へ飛び込んで、ちょこっと抵抗した太宰を河原まで引き上げてからも、
結構な日差しのお陰様、震え上がるほど寒いということはないなと思ったものの、
鼻先を寄せ、くんと嗅いだ腕や袖が微妙に泥臭い。
特に用もなくの家にいるだけなら、着替えだけしてから
いっそ宵辺りまでこのままで居ても構いはしないかもしれぬが、
こんなアクシデントに襲われたその元凶様がそれらしいこと示唆したのは、
さすがの炯眼で午前中の敦の態度からあっさりと引き出していたものか、
それとも“本人”からさりげなく訊き出したか。
「しょうがないか。」
お出掛け先は百貨店内の展示場。
平日の昼間だが、それでも結構な人出ではあろうから、
そんな中でこの匂いを振り撒くのは何だか居たたまれない。
連れもあることだし、パリッとした恰好なんぞ出来ないのだから、
せめて身ぎれいにするのは最低限のエチケットでもあろうと、
箪笥から替えの下着とシャツを引っ張り出し、
脱衣所に置かれた洗濯機へ脱いだものをそのままポポイと放り込むと、
ガラス格子の戸をがららと引いて、照明を点けずとも ほの明るい風呂場へ入ってゆく。
後ろ手に戸を閉めながら、はっくちんと2回目のくしゃみが出たが、
特に寒気は感じないままだったので、
“川の濁り水が刺激にでもなったかなぁ?”
寒いからではなく、何かしら鼻孔に引っ掛かっていてのくさめかな?と小首を傾げつつ、
シャワーの真下に立つとカランをひねって、ちょっと贅沢な昼風呂よろしく湯を浴びた敦だった。
◇◇
仔猫に限らず成猫でも狭いところが大好きで、
飼い猫が思わぬところへ潜り込んでいて驚かされるエピソードは多い。
ずんと平たいのや小さい空き箱等に潜り込むのは
全身いたるところが何かに最初から触れていることで落ち着くらしく、
外敵への警戒心からの行動らしい。
怪談を聞いた晩なぞ、暗闇が落ち着けなくなり
突然何かに触れられたくなくて毛布をかぶりたくなるアレと同じかと。
(ちなみに、捕食側で具体的な外敵がほぼいない虎やライオンには見られない。)
ポリ袋のわしゃわしゃという音は、ネズミなどが移動するときに出す草むらや枯葉の音に似ているから好き。
網膜の裏に、一旦網膜を通過した光を反射させ、再び網膜に感じさせるタペタム(輝板)という薄い膜があり、
僅かでも光があれば暗い中でも見えるので、
逆に瞼に光が当たるところで寝るのは苦手で、顔を前脚で覆って寝る子もいる。
「…意外だ。」
「何が?」
人待ちのいとまの潰えにと開いたはずが、身を入れて読み耽っていたようで。
随分と間近からの声におやとカバー付きの文庫本から顔を上げれば、
ごめんねと眉を下げる馴染みの顔があって。
それが丁度、眺めていたページの味のあるイラストにあった子猫の困り顔に似ており。
ついつい内心で小さく噴き出しかかった青年だったが、
されど表へまでは出なかったので気づかれていないまま、
「待たせちゃったね、ごめん。
結構 急いだんだけど遅くなっちゃった。」
自分が待たれていたことへの謝罪を口にする彼なのへ、
「なに。日頃が早すぎるのだ。」
大儀ないと目許を和らげたのは、
デザインシャツにリボンタイ、濃色の内衣と黒のスリムパンツという
ごくごくありふれた若者の街着といういでたちの、漆黒の覇者こと芥川青年で。
数日ほど前に今日の昼からの非番を言い渡されたとき、
そういえばと敦が思い出したのが、
マフィア所属じゃああるが相棒でもある彼も休みじゃあなかったかということ。
そこで出かけられないかと連絡すると二つ返事で諾とされ、
常のように駅前で待ち合わせることにした。
相手が指名手配犯であるため、
待ち合わせる時は出来るだけ敦が先に来て待ち受けるのが
彼らの間で何となく定まった順番なのだが、
「川に落っこちたんでお風呂に入ってきたんだ。」
思いも寄らない手間が挟まったので遅れたのだと。
頑張って駆けて来たことで
息はさほど上がってもないが髪がまだ微妙に湿っているのを押さえつつ告げれば、
「…ああ、太宰さんか。」
あの人かと言わなくなった彼が一瞬目を見張り、
師の話なのに苦笑交じりなのは、
何がどうしてを省略していてもその詳細が十分通じたからだろう。
どっちが弟子だか、手を焼かせるな 済まぬと彼の側もまた謝るほどであり、
「ちゃんと温まって来たのか?」
「アハハ、太宰さんと同じこと言うんだ。」
ほのかに湿った髪を彼もまた押さえてくれて、
愛でるようにスリスリと撫でてくれてから
その手が頬へと流れて来て冷えてはないかと案じてくれる。
かつては顔を合わせれば互いに憎々しげに睨み合うばかりだったはずが、
貴様など認めぬと殺さんばかりの敵意を向けられていたはずが、
今はこうまでお元気な姿を見ても、大丈夫かと心配してしてくれる兄弟子さんで。
そんな深刻にならなくても大丈夫だよぉと応じかけ、
だが、不意に鼻先がくすぐったくなり、
はっくちん、と
ひゅうと短く息を吸い込んだそのまま、ぷしっと飛び出したのが小さなくしゃみ。
それはそれは豪快な活劇担当、
日頃も 決して乱暴者ではないけれど
どちらかといや溌剌腕白なところが結構目に付く闊達な少年にしては
何ともかあいらしいそれだったため、
何だ今のはと、目を見張ったそのまま
兄人が口許へゆるい拳を当てつつ くつくつと吹き出しかかる。
「女学生でもあるまいに…。」
という言われようへは さすがに、うぬうと眉を寄せて見せた虎の子くん。
出もの腫れ物なんとやらで、しょうがないだろうと
勇んで顔を上げ、威勢よく言い返し……かかったものの、
「………え?//////」
余程に可笑しかったのだろう、
ゆるく握り込んだ白いこぶしを添えることで口許を隠しつつ。
それでもそれと判るほどに
目許を弧にし、頬が上がるほど口唇ほころばせて くくくと笑う黒の青年のその慎ましい笑顔へ、
どうしてだろうか、視線が奪われてしまったそのまま外せない。
こんな風に笑えば意外にもやさしい風貌なのは敦だってようよう知っている。
お互いへの理解なんてないままに いがみ合ってた頃は
眉間に絞るほどのしわを寄せ、ただただ尖って険悪だったそれが、
柔らかくも甘い笑みをまとうことで驚くくらい まろくなるのは、
太宰から無駄に鼻高々に自慢されたのが後出しだったほどの“事実”であり、
「え?え? なんで?」
あまりの甘さや やわらかさへ、初めて接した折のような感動さえ感じる。
そんな大したことは話してもないのに、
ようも揶揄ってくれたなと、本気じゃあないにせよ“怒ったぞ”と反駁しかかってたはずなのに。
それは優しい兄人の笑いようへ、気が付けば視線がくぎ付けとなり、
「?? どうした?」
そんなこちらの様子に気づいたか、ンン?と小首を傾げた甘い所作を見た途端、
頬がほんのりと暖かくなってまで来てしまった敦くんだったのでありました。
to be continued. (18.04.13.〜)
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*此処に書くのも今更ですが、ウチのお話は一連のそれなので、
途中のをいきなり読まれると“何で?”となる箇所が多いかも知れませんね。
文中にあります通り、ウチの新双黒は
非番が重なれば誘い合って出かけるほど仲がいいです。
とはいえ、結構ほのぼのしたシーンのはずなのに、何だか不穏な気配です。(笑)

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